箱根旅行(2日目:大冒険と全力坂)
ツナマヨさん(※)との箱根旅行2日目、前日夜遅くまで飲んでいたにも関わらず、きっちり7時半は温泉に浸かっていた。
※ツナマヨさん
わたしの好きなひと。もはやほぼ恋人。
オムライスとグラタンが好き。生魚は嫌い。
わたしより歳上で、干支が同じ。
大浴場の入り口にはメッセージボードが置いてあった。
わたしたちは同じ浴場に入るのにも関わらず、ツナマヨさんは徐ろにメッセージを記入しはじめた。
意味がわからず、わたしはぽかんとしていると、ツナマヨさんに問いかけられた。
「シティハンター知ってる?」
「知らん」
「うーーそだぁーーーーーくぅ~~~~~~(ジェネレーションギャップを感じて悶えるツナマヨさん)」
「これ書くとどうなるん?」
「リョウくんが来てくれる」
「ほー」
朝の浴場には、ほとんど人がいなかった。
貸し切り状態の露天風呂で、ツナマヨさんにクイズを出した。
「問題です。わたしは泳げるでしょうか」
「泳げ…ない!」
「ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサー!」
「ぶぶー。泳げます。4泳法全部泳げます」
「わたしも泳げるよ。平泳ぎ以外」
「え、平泳ぎが一番楽やのに、どうするん。いっつもバタフライなん?」
バシャッと水しぶきを立ててバタフライの真似をするツナマヨさんがかわいかった。
洗い場にも湯の中にも誰もいないのを確認して、一度、触れるだけのキスをした。
スイッチバックを繰り返す登山鉄道に疲れて、一時、宮ノ下駅で下車することになった。
改札を出てすぐ急な下り坂がある。脇には小洒落たカフェが並んでいた。
「あ! ここ行きたい!」
そう言ってツナマヨさんが指差したのは、おしゃれなカフェではなく、古い民家の壁に貼ってある看板だった。天ぷら屋さん。いいかも。
てくてく、散歩するように歩いて向かった。
途中の郵便局に立ち寄った。
奥の事務スペースも合わせて10畳程度の、小さな郵便局だった。
「どうして『こばやし』っていう看板なんですか?」と局員のおばちゃんに話しかけると、昔は「こばやし」という書店の一角を借りて郵便局をやっていたのだと教えてくれた。こばやし書店は閉店したため、郵便局のみ残っているらしい。たしかに、フロアの半分は照明もついておらず、衝立で隠されている。
おばちゃんと談笑しながらお土産用と思われるポストカードを眺める。すると、「宮ノ下温泉簡易郵便局」と書かれた赤ポストの定形外ポストカードを見つけた。なんと、手書きである。赤色とか、もろ、マッキーとかで塗ってる。やばい。これ、売り物なんか。やばい。
「え、これ買うわ」
わたしはすぐさまそのポストカードを買った。だが、料金を払い手渡されたのはきれいに印刷されたポストカードである。なんでや…! 思ってたんと違う…!
「あー、それ、プリントのやつだと日焼けしちゃうから手作りの見本を置いてるんです。そっちがよかったですか?」
そういうことかー。そっちがよかったなあ。旅行、楽しいなあ。
郵便局を出て、手をつないで、てくてく歩く。
古い写真館のショースペースにジョンレノンとオノヨーコの写真がある。すぐ近くに富士屋ホテルがあるからだろうか。
しばらく歩くと、寄せ木細工の店を見つけた。
「見てみよー」
誰もいない店内で、すごいすごい、かわいい、とはしゃぎながら店内を物色するわたしとツナマヨさん。
「うん、これが似合ってる。かわいい」と、わたしの耳にピアスを当てて、ツナマヨさんは嬉しそうにしている。わたしも同じように、何個かツナマヨさんの耳にイヤリングを当ててみた。
わたしはツナマヨさんにイヤリングを、ツナマヨさんはわたしにピアスを買った。プレゼント包装もしてもらった。うれしい時間だった。
店を出て、手をつないで、るんるん歩いた。
目的地の天ぷら屋さんに着くと、定休日なのか、コロナ云々なのか、店は開いていなかった。
「えー食べたかったなあ」
残念なような、少し拗ねたような口調のツナマヨさんがかわいかった。
少し進んだところに海鮮丼の店があった。
わたしは「めっちゃ美味しそうやん」と呟き、メニューを眺めた。鯵丼、鉄火丼、サーモン丼、エトセトラ…。メニューのどこを眺めても生魚しかない。そう、ツナマヨさんは生魚は苦手なのである。
「さっき通ったイタリアンのとこ行こっかー」
ツナマヨさんの手を取って、引き返した。てくてく。
イタリアンの店は、少し寂れたビルの2階にあった。動いていないエスカレーターを1歩ずつ上り、窓際の席に座った。
「シャ」から始まって「ニオン」で終わるいつも名前が覚えられないソースの生パスタと、マルゲリータを注文すると、早速、わたしたちはプレゼントのアクセサリーをつけた。暗い照明の店内で、明るい窓際に座って、「どう?」と髪をかき分けて耳を見せるツナマヨさんに、わたしは「かわいいよ」と言ってシャッターを切った。
生パスタとマルゲリータはとても美味しかったが、さらに美味しかったのが、パンと一緒に出てきた自家製バタークリームだ。しょっぱくて、甘くて、ふわふわで、「おいしいね」とふたりで言いながら食べた。
店を出る前に、店員さんに「どうしてこの店に来たんですか? ガイドブックとか?」と話しかけられた。
「いえ、たまたま降りた駅で、たまたま歩いていて、たまたま入ったら、とっても美味しい店に入れました」
「それはよかった。幸福の神さまがついてますよ」
「そうですね。ごちそうさまでした」
てくてく。駅に戻る。
もうこの時間から彫刻の森美術館に行くのは少々無理のあるスケジュールに思えた。
わたしたちは予定を変更して、とりあえず終点の強羅駅まで行ってみることにした。
強羅駅に着き、「なんか”和”って感じのとこで休憩したい」というわたしのリクエストにかなう店を探した。が、これもコロナ云々のせいなのか、めぼしい店は軒並み閉まっている。仕方がないので、コインパーキングの軽自動車の車輪止めにふたりで座って休憩した。
ぼーっとしていると、急にツナマヨさんが「ぎゃー!」と叫んで飛ぶようにその場を離れた。ブーン。視界の端に蜂を捕らえた。わたしも「わ!」と急いで立ち上がる。それからしばらく、コインパーキング内で蜂と鬼ごっこをした。途中で飽きたのか、蜂はどこかに行ってしまった。
「どうぶつの森みたいだったねー」と、ほとんど追いかけられていないツナマヨさんが暢気に笑っている。休憩したつもりが、なんだか疲れた。駅に戻る。
「どうする? ケーブルカー、乗る?」
「トコトコきっぷ(旅行者向けパス)の範囲内らしいから乗ってみよう」
入線するケーブルカーをコミケのローアングラーさながらの体勢で撮影し、ケーブルカーに乗り込んだ。終点の早雲山駅に着くと、霧と緑でいっぱいの展望があった。風が気持ちいい。「ほら、あそこの雲とかさあ、触れそうだよ」とツナマヨさんが手を伸ばしている。
ここで、わたしの頭の中に「ここまで来て、このまま帰るのか…?」という考えが浮かぶ。この先はロープウェイでさらに登ることができ、なんかわかんないけど地熱みたいなやつを通って、芦ノ湖に行けるのだ。せっかくここまで来たんだから、行ってみたい。
ツナマヨさんも同じことを考えていたらしく、わたしたちは終電間際のロープウェイに乗り込んだ。時刻は16時45分。乗る前に「17時で営業終了なので戻ってくることはできませんが、よろしいですか?」と確認された。いいだろう。バスでもなんでも使って帰ってみせる。むしろ、大冒険に出発するようで、気分が高揚した。
ロープウェイはガラガラで、わたしとツナマヨさんのふたりで貸し切り状態だった。
コロナ云々もあるだろうが、この時間に「戻ってこれませんよ」と言われて乗る人はいないのだろう。前にも後ろにも、見える箱にはだれも乗っていなかった。
何をしてもいい。空飛ぶ完全個室。周りには大自然。楽しくなってきたわたしは、ツナマヨさんに、「何か音楽流そう」と提案してみた。
「どうする? 何聴く?」
「えーどうしよう! なんか冒険っぽいやつ!」
「んー、なんやろなあ」
「ドラクエ!」
わたしはリクエスト通りにドラクエのOP(?)を流した。すごい、めっちゃ楽しい。ツナマヨさんが、行っていない彫刻の森美術館のうちわを盾に、500mlのペットボトルを剣にして、勇者になりきっている。
次第に、辺りは霧に包まれて箱の外は真っ白になった。「えぇ~~こわいこわい」と勇者が怯えている。ゲーム版「二ノ国」のBGMを流してやると、本当に魔物が出てきそうな雰囲気になった。すると、急に硫黄の匂いが立ち込めて、少し見通しが良くなってきた。「見てみて!」とツナマヨさんに言われるがまま下を見ると、なんか地熱っぽいなんかあれがあった。黄色い煙を出している。いかにも魔物が現れそうである。
そのあとは、霧が薄くなって並木道を空中歩行するような不思議な光景が続いた。
「これは、”譲”です! 『アシタカせっ記』流して!」
リクエスト通りに「アシタカせっ記」を流すと、なるほどジブリの森の中に迷い込んだような気持ちになった。
終点が近づいてきたので音楽を止める。すると、駅舎に「第3新東京市」の文字が! ロープウェイを降りると、駅には人っ子一人いなかった。劇場版の公開に合わせて駅のあちこちに「NERV」の文字があったり、キャラクターが壁に並んでいたりした。手入れされていないのか、蜘蛛の糸を張った初号機とのツーショットをツナマヨさんに撮ってもらった。
一気にジブリの世界からエヴァの世界に放り出され、終末感が漂う。
いや、マジで、帰れるんか、これ。
ほんまに人がおらん。駅員すらおらん。やばそう。
すると、一匹の猫が現れた。
おうおう、おまえはかわいいなあ。しばし撫でたあと、さようならをした。
とりあえず、バス停に向かうと、数人の中国人らしき若者がバスを待っていてほっとした。時刻表を見ると、しばらくは定期的に箱根湯本方面へのバスが出ている。わたしたちは、帰る前に芦ノ湖を眺めに行くことにした。
相変わらず霧っぽくて少し不気味である。でも、誰もいない大きな湖をふたりで眺めるのは気持ちが良かった。
なんか、よくわからん海賊の船長がいた。
近くには、引退したアヒルボートの首がガーデンに並べられていて不気味だった。やけに丁寧に並べられたアヒルの首の列に1羽分の隙間があったので、わたしもアヒルになった。
わたしたちは、「CLOSED」と書かれた札がぶら下がっていてる鎖をまたいで、アヒルボートの桟橋を歩いた。柵にもたれて、しばらくぼーっとする。幸せだな、と思った。
雨が降ってきたので、バス停に戻る。屋根はないので、バス停のポールの重りに座ってバスを待つ。やってきたバスは、またも貸し切り状態であった。
「えー、出発時刻ですが、前方に猫がいますので、少々お待ちください」
と、運転手さんがアナウンスする。さっきのかわいいこちゃんに違いない。ツナマヨさんと少し笑ってほっこりした。
わたしが「どうしても塔ノ沢駅の弁天を見たい」と言ったので、再び箱根登山鉄道に乗るため、宮ノ下駅前の停留場で降りた。そう、お昼にも降りた宮ノ下である。
大冒険をした後に帰ってきた宮ノ下はもう暗くなっていた。バス停は坂道の一番下にあり、わたしたちはこの坂を登って駅まで行かねばならなかった。疲れ切っていたわたしは、少しの間、坂を眺めて「ほんとうにのぼる…?」と考えていた。脇を見ると「あじさい坂通り」と書いてある。どこにでもありそうな名前だ。すると、ツナマヨさんは手提げ鞄をリュックのように背負い込んで何やら準備運動をしている。
「え、やるん?」
「やります!」
「では、わたしはナレーションと撮影をします」
「お願いします」
実は、昼間に話していたのだ。「ここで、全力坂(※)できそうだねー」と。まさか、こんなに疲れ切った状態で、夜にやることになるとは思っていなかった。
※全力坂
かわいい女の子がただひたすら坂を駆け上るだけの数分番組。
「この坂もまた、走りたくなる坂である」という、お決まりのナレーションがある。
服装やアングル、息遣いなどに少しいやらしさを感じる。
わたしは、あじさい坂通りと書かれた石碑を映し、「この坂もまた、走りたくなる坂である」と声を吹き込んだ。ツナマヨさんが猛ダッシュを始める。スマホを片手に並走するわたし。途中で気づく。ツナマヨさんはスニーカー、わたしはサンダル。でも、ツナマヨさんは30代、わたしは20代。なんだ、これ。どんどん失速するツナマヨさん。よし! チャンスだ! 前からのアングルでゴールしたい! なんとか追い越そうと必死で足を動かすが、わたしもすでに限界を通し越しており、のろのろである。ようやく1mほど追い越せたと思ったら、ツナマヨさんが両手を膝について息を切らしている。
「ちょっと! 頑張って! あの駅のところで『はぁはぁ』やで!」
わたしは必死でディレクションをするが、言葉だけを取ってみると、まるでAVの撮影のようである。
「くぅ~~~~~~~~~~~~~(走るツナマヨさん)」
ようやく走り終えたツナマヨさんは、偶然にも「あじさい坂通り」と書かれた石碑に手をついて「はぁはぁ」している。そこにまたさらに偶然が重なり、向かいホームへ渡る踏切がカンカンと音を立てだした。わたしが駅舎と踏切とツナマヨさんと石碑が映る絶妙のアングルの映像を収めたところで、今回の収録は終了した。
死ぬほど疲れた。
夜の箱根登山鉄道は雰囲気があって気持ちいい。
とても汚い池でコインを洗いまくった。ツナマヨさんが「本当にこれできれいになるの…?」と不審がっている。
「大丈夫、清められてるかどうかの問題やから」
「そっか」
「そう、めっちゃ汚いけど、清いからいける」
「なるほど」
一番奥まで進むと、暗くて汚くてよく読めないが、「たまごを複数置いて、1つ持って帰れ」というようなことが書いてある。なんだそれ。あいにく、たまごは持ち合わせていなかったので、汚くて清いコインを入れておいた。
再び箱根登山鉄道に乗り込み、ようやく箱根湯本駅まで戻ってきた。
前日の反省を活かし、わたしたちはコンビニで食料と酒を買い込み、タクシーで宿まで向かった。ワンメーターで入り口正面までつけてくれる。神。もう一生歩かない。
夜も遅かったので、露天風呂は朝と同じく貸し切り状態だった。少しだけキスをした。
閉店のアナウンスを3回ほど聞いた後に、客室に戻って酒を飲んだ。
全力坂の映像を見て、死ぬほど笑った。楽しかった。
幸せだなあ、と思った。