太田あさひの日誌

旧・中西香菜さんがおすすめの映画をひたすら観るブログ。アンジュルムの中西香菜さんがおすすめする映画の感想だけでなく、旅行や考えごとについて書き残す。

森岡正博『完全版 宗教なき時代を生きるために―オウム事件と「生きる意味」』を読んで

友人のハニワさん()に推められ、森岡正博先生の『完全版 宗教なき時代を生きるために―オウム事件と「生きる意味」』を読んだ。

 

※ハニワさん

大学からの友人。

「とっている授業と履いているスニーカー(激安ノーブランド)が一緒」というきっかけで仲良くなった。

学生時代、理工学部キャンパスの工房でひたすら埴輪を作り続けていた。

 

森岡先生の授業は、大学時代に受けたことがある。確か、「生命倫理学」の授業だ。

その授業は、森岡先生の持論や考えを展開するわけではなく、毎回テーマを設け、うまくバランスをとって、議論すべき(あるいはわたしたち自身が考えるべき)点だけを丁寧に伝えてくれる授業だったと記憶している。

 

しかし、この本の中の森岡先生は、自分の考えをストレートに書いていて、少し驚いた。森岡先生は、「生きる意味」やこの世の「真理」を知りたい、と考える人々にとって、自分で考えてもどうしようもないと苦しむ人々にとっての選択肢が、「宗教」と「日常生活に埋没すること」の2つしかないと主張している。オウム真理教のエリート幹部信者たちは、「生きる意味」や「真理」を知るためにもがき苦しみ、その結果、「答え」を持っているオウム真理教に入信したのだ、と。だから、森岡先生は、この本を通して、わたしたちがわたしたちの社会に作るべき「第3の道」を考えようとしていた。

「ほんとうの自分」とは、頭上のどこかに、星のように輝いていて、長い修行の果てに私はそこにたどり着くという考え方があるが、それは間違っている。そうではなくて、いまここにいる私の、自分では見たくないような姿を、苦しみながら見据えていこうとするそのプロセスのただなかにおいて、「ほんとうの自分」は、そこで発見される自分とそれを見据えようとする自分の総体として、そのつど立ち現れてくるのである。(p.216-217)

いま、ここに存在する自分。理想とかけ離れていたり、面倒なことから逃げていたり、考えの合わない人々を排斥しようとしたりする自分。そんな「見たくない」自分と向き合って、考え続けること。そうやって、「生きる意味」やこの世の「真理」などを探求し続けること。それが、森岡先生の言う「宗教」や「日常生活に埋没すること」を選択することができない人々や、苦しんだ挙句そういった道を取らざるをえないと考えてしまった人々へのメッセージであると思う。そして、考え続けるなかで、「私が私であり続けるために、わたしは変わっていかねばならない(p.226)」とも言っている。自分のペースを守って、倒れない程度に、総体として前進していく。そんな生き方ができたらいい、と森岡先生自身が望んでいるのだと思う。

 

「倒れない」ために、森岡先生は、そういった人々の「支え合いのネットワーク」が必要だと言っている。ひとりで考え苦しみ続けるのではなく、「宗教」のように他の誰かが説いた教義を信仰するのでもなく、他者に依存して苦しみの責任を投げ出すわけでもなく、遠くの誰かとゆるやかにつながるネットワークをつくる。そうやって、自分自身の力で立ちながら、ほんの少しのサポートを受けることができるネットワークをつくる。これこそが、森岡先生が考える「第3の道」である。

この「第3の道」についての具体的な記述はなく、あとがきの項にも、具体的な構想について考えることがこれからの課題であると語っている。そして、これは、森岡先生だけにとっての課題ではなく、「生きる意味」や「真理」を知りたいわたしたち全員にとっての課題なのだと思う。

 

以下、わたし自身の個人的な話も含めて、感想を記そうと思う。

 

この本を読みながら、学生時代の森岡先生の「生命倫理学」の授業を思い出していた。特に印象的だったのは、出生前診断をテーマにした回だ。その回は、卒業後は障がい者の支援に携わりたいと思っていた当時のわたしにとって、とても強烈だった。ほとんどの人が出生前診断を受けているという事実、そして、診断の結果、重度の障がいが見つかった場合、100%に近い数の人々が出産を諦めているという事実。これは、「いのちの選択」ではないのか。そんな問いかけは、決して他人事ではなく、わたし自身が向き合わなければならないものだと感じた。その回から1ヶ月ほど、わたしは会う人会う人に、「どう思う?」「あなたならどうする?」と聞いていた。その頃は、誰からも納得のいく答えを得ることもできなかったし、自分自身でも、どうしても答えを出すことができなかった。

卒業後、学校や福祉施設などで障がい者の支援に関わり、同僚と語り合ったこともある。わたしたちが支援していた方の中には、24時間サポートが必要な重度の障がいを持つ子どももいた。そのときのわたしが、酔っ払った頭で考えたのは、「重度の障がいがあるとわかったら、堕してしまうだろう」ということだった。「出生前診断を受けるか否か」については、答えを出すことができなかった。共に語り合った同僚も、皆、同じ意見だった。「むずかしいね」。そんな簡単な言葉で話を終えることしかできなかった。

そして、わたしは、この本に出会うまで、そのことを忘れていた。考えることを放棄していた。日々、障がいを持った子どもやその両親と接しているわたしは、「障害を理由に『いのちの選択』を許す制度」について、考えることを放棄していたのだ。このことに、わたしはとても動揺した。森岡先生が例に出していた、「タバコをポイ捨てするエコロジスト」と何も変わらないではないか。あの子たちのいのちは、あの子たち自身以外のだれかに「選択」されていいものではない。そう思っているのに、わたしは考えることを放棄しているのだから。わたしは、日々関わっている目の前の愛おしい子どもたちのいのちを、無意識に「選択」しようとしてしまっていたのではないか。そう考えると、恐ろしくて、苦しくて、たまらなくなった。

 

また、尾崎豊についての考察を読んで、わたしは、過去に自分の責任を放り出してだれかに預けてしまったことがある、とも思った。

森岡先生は、尾崎豊は、「生きる意味」や「ほんとうの自分」を見つけるために苦しみ、歌い続けていたが、いつしかファンの苦しみさえも背負ってしまっていた、という。また、ファンの側も、自分の苦しみを全て尾崎に委ねて責任を放棄していた。その苦しみを永遠に引き受けるために、尾崎は死んだのではないか。尾崎は、ファンが殺したのではないか。そして、そのことに気づかない構造が、尾崎とファンの間にあったのではないか。これについては、わたしにも「ファン」の側の経験があるので、わかる気がした。

わたしにとっての「尾崎豊」は、UVERworldのボーカル、TAKUYA∞だった。16歳の頃の話だ。「生きる意味」を考えることに捉われて日常生活すら満足に送ることができなくなり、「生きる意味」を考えずにのうのうと生きている(ように見える)クラスメイトたちに苛立ち、全てから逃げるように自分の腕を切って苦しんでいたとき、TAKUYA∞が、わたしの苦しみを歌ってくれていたのだった。

tragedy

悲観と向き合う人の心に

一つも陰りなんて無かった

tragedy

きっと誰も探してる答えは

見えず願い請う 請う

 

「もう愛はこの世に無いのよ」って言うけれど

人の愛の結晶 それが僕らなんだろう

 

無意味な穿鑿

不条理な選択

止む事は無いだろう

 

UVERworld「病的希求日記」(アルバム『PROGLUTION』収録)

作詞:TAKUYA∞

 

叶うはずないあの日の夢が

未だに胸の中瞬くから

いつだって時は最初まで戻れる

あきらめないで 追いかけ続けていたいよ

 

UVERworld「CHANCE!」(アルバム『Timeless』収録)

作詞:TAKUYA∞

 TAKUYA∞の詩を聴いているとき、いま悩んでいるわたしは正しくて、この世は汚れているけれど、いつかやり直すことができる、と思えた。TAKUYA∞が苦しい、悲しい、と歌ってくれているとき、わたしはとても安心した。苦しくて、悲しくて、みんなと違って、失敗だらけの人生でも、TAKUYA∞が「自分も同じだ、大丈夫だ」と言ってくれる。彼の音楽を聴けば、彼の言葉を聞きにライブに行けば、その瞬間一瞬、わたしは救われる。たしかに、そんな風に感じていた。

UVERworldはその後大成し、苦しみや悲しみではなく、生きることの喜びを歌うようになった。尾崎とは違う道をたどったわけだ。しかし、成功してわたしの遥か前方に行ってしまったTAKUYA∞が生きることの喜びを歌っているのを、わたしは聴き続けることができなかった。なので、わたしは、今でもUVERworldは大好きだが、2012年頃からの曲を直視して聴くことができない。どこかで「裏切られた」「こんなのTAKUYA∞じゃない」と思っている。これが「苦しみの責任転嫁」ではなくて、なんだと言うのだろう。TAKUYA∞が尾崎と同じ道をたどらなくてよかったと、芯から思う。

 

一方、とても個人的な部分では、わたしは、自分なりに自分と向き合い続けることができているように思った。それは、自分の性に関することである。

わたしは、物心ついた頃から性に関する悩みをずっと抱えている。

わたしは、女性として生まれたが、子どもの頃の嗜好は男の子そのものだった。幼稚園の参観で、将来の夢はウルトラマンだと発表した。スカートを履きたくなくて、友達の誕生日会には短パンとシャツに蝶ネクタイをつけて行った。いつのときも、他の友達とは明らかに異なる執着心のようなものを抱く女の子の友達がいた。やがて、大学生になり、性的マイノリティについてのそれなりの知識を身につけ、自分はレズビアンなのではないか、と疑うようになった。その疑いは、年々増して行ったが、それを振り払うように何度も男性とお付き合いをした。しかし、疑いが膨らむのに耐えられず、大学卒業と同時に、今後は一切男性とのお付き合いはしない、と決めた。

これらの全ての場面において、わたしは「他者と異なる」ということに悩まされ続けた。

「将来の夢はウルトラマンです」と言った瞬間に大勢に笑われ(同級生は「変だ」と笑い、保護者たちは「かわいらしい」と笑った)、卒業式では「将来の夢はケーキ屋さんです」と嘘をついた。スカートを履きたくなくて短パンで友達の誕生日会に出席する自分と、スカートの制服を着る自分は、同じ自分なのに、どこか違うような気がしていた。特定の女友達に執着する自分のことを気持ち悪いと思い、隠そうとしたが、それでは自分が自分でなくなる気がした。わたしは、いつのときも、悩み、そして、逃げたり、立ち向かったりしてきた。

 

大学生になってから、少しずつカミングアウトをするようになった。だが、以下の記事に詳しく書いているように、カミングアウトしてもわたしの悩みは消えることがなかった。

わたしのこの悩みは、今後、一生続いていくものだと思う。最近、ツナマヨさん()とお付き合いをするようになったが、それでも、わたしの悩みは消えていない。

けれど、「総体として前進」しているように思える。「普通」になろうとしたり、周囲に嘘をついて隠そうとしたり、自分にまで嘘をついて男性と付き合ったりしたこともあった。だが、やはり、自分は女性が好きなんだとカミングアウトを始めるようになり、女性の恋人もできた。今でも悩みは尽きないけれど、わたしは、わたしの性に関することについて、向き合い続け、戦い続けてきたんだと、自信を持って言える。

けれど、そう言えるような人生を歩むために、わたしには仲間が必要だった。遠い国で「同性婚が法制度化された」というニュースを知ったとき、あるトランスジェンダーの方の手記を読んだとき、同性カップルYouTuberの日常生活を見たとき、偶然仲良くなった友人がわたしと同じように自身の性について悩んでいることを知ったとき、わたしは、「仲間がいる」と感じ、励まされた。そのとき、わたしは、誰かに依存したり責任を放棄したりすることなく、励まされることができた。

 

森岡先生がつくりたい「第3の道」とは、こういうことなのではないだろうか。ひとりで苦しんでいても、日々を過ごしていれば、励ましてくれる何かに必ず出会える、という社会の状態のことなのではないだろうか。わたしは、熱心に海外の性的マイノリティ事情について情報を入手しようとしていたわけでもないし、性的マイノリティの当事者の本やYouTubeを探していたわけでもないし、同じような誰かと出会おうとしていたわけでもない。ただ、少しの「勇気」を持って、スマホをちょっといじるだけで、学校で知らないだれかと少し話すだけで、出会うことができたのだ。アウティングに遭って自死するような学生のニュースを見ていると、そんな励ましてくれる何かに出会えたわたしは、「幸運」なのだろう。

誰かが悩み苦しんでいるときに、熱心に助けを求めなくても、必ず励ましてくれる何かに出会える社会。そんな社会を、意図的に、わたしたちの力で作り上げることができたら、オウム真理教尾崎豊のような「失敗」は生まれないかもしれない。そんな社会をつくりたい、と思った。

 

わたしは、これから、どうすればいいのだろうか。それを考え続けることを、止めないようにしたい。

 

ツナマヨさん

わたしの恋人。もうすぐ同棲する予定。

理想の女性像は、宅飲みのときに一人キッチンに立ち「今これ!」とみんなに思ってもらえるようなつまみを出せる女性。

目覚まし音はPOLYSICS