『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』感想
大阪・中之島の国立国際美術館で開催中の展覧会『日本・オーストリア外交樹立150周年記念 ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』(以下、「ウィーンモダン展」とする)へ行ってきた。
最近行った展覧会の中では、群を抜いて見せ方が良かった。やはり、国立国際美術館は見せ方が上手い。
わたしが国立国際美術館の見せ方の上手さを実感したのは、クリスチャン・ボルタンスキーの展覧会だった。東京の新国立美術館でもほぼ同内容で巡業していたが、圧倒的に国立国際美術館の展示の方が良かった。まるで迷路のような展示室で、奥へ奥へと引き寄せられる感覚があり、迫力があった。このようなボルタンスキーの展覧会の経験から、わたしは、国立国際美術館の展示を高く評価しているのだ。
話は戻る。なので、今回の「ウィーンモダン展」もとても期待していた。そして、期待通りの満足感を得たので大満足している。
この満足度の高さには、わたしが過去にウィーンに行った経験があることも大いに影響しているのだろうと思う。というのも、同行した友人は、満足はしているものの、そこまで飛び抜けた面白さを感じていない様子だったからだ。
わたしがウィーンを旅行したのは、たしか2017年の2月頃だったと思う。美術館だけではなく、王宮や庶民(?)のマンション、街の時計など至るところに美術があり、古き良きヨーロッパの街並みが保全されていて、街全体が美術作品のようだという印象を受けた。また、歴史を持つ劇場の多さや街中にある著名な音楽家の像などから、音楽の街としてのウィーンの側面も感じた。とにかく、ウィーンという街は、芸術と切だということを実感した旅であった。
今回の「ウィーン展」は、ウィーンという街の歴史を、絵画や建築、ファッション、調度品など様々な芸術に関わるものを通して時系列順に辿っていくもので、それは、わたしの旅行体験を鮮やかに蘇らせるものであった。そして、漠然と歩き回って感じたウィーンの芸術性を整理する良い機会にもなった。
特に良かったのが、やはり、この「ウィーンモダン展」の目玉であるウィーン分離派の展示である。
Wikipediaで申し訳ないけれど、ウィーン分離派について簡単に。
ウィーン分離派(ウィーンぶんりは, 独: Wiener Secession, Sezession[1])とは、 1897年4月3日にウィーンで画家グスタフ・クリムトを中心に結成された新進芸術家のグループを言う。正式名称は、オーストリア造形芸術家協会(Vereinigung bildender Künstler Österreichs(Secession))。
展示施設を持ち、展覧会の開催を行った。クリムトらはウィーン分離派の活動を通して 新しい造形表現を追求した。ウィーン分離派はミュンヘン分離派(1892年)の結成に影響を受けているが、総合芸術を志向していた点に特徴がある。
なんでも、ウィーン分離派は、従来の芸術様式から離れた新しい芸術の創造を目指していたらしく、たしかにどの作品も"モダン"な装いである。当時で言うところの「現代アート」だったのだろうか。
音楽家のシェーンベルクと交流のあった画家もいたようだ(が、2人の関係は女性関係が原因で悲劇的な結末を迎えていて「えぇー…」となった)。というより、その頃のウィーンは歴史的・保守的な芸術に反する芸術の創造を目指すあらゆる芸術家が集まる場所だったらしい。画家も音楽家も建築家も入り乱れて交流があったのが特徴だという。
また、ウィーン分離派には統一された芸術スタイルはなく、ただ同じ志を持つ画家の集団だったらしい。「生活のすべてに芸術を」(うろ覚え)という言葉もあり、なんだか芸術的というよりも哲学的な集団だ。もっと好きになった。
ウィーン分離派は自己プロデュースも上手いと感じた。毎月発行する機関誌も幾何学的な模様を駆使したデザイン性の高いハイセンスな表紙で分離派の魅力が一目でわかるし、展覧会も開催していたようで発信力もある。だれかプロデューサーがいたのかしら。それともこれは普通のことなの?美術史には明るくないのでだれか教えてほしい。助けて、和田あやちょさーん!。
とにかく、ウィーン分離派、めちゃくちゃ気に入った。
■いちばん気に入った作品
(縦長なのは日本画の影響らしいけど本当か?)
この作品のみ撮影可能だったので1枚パシャリ。
まず、ドレスが格好いい。本当にクリムト作品に出てくる模様はデザイン性が高い。顔周りの幾何学模様が大好き。家に帰ってめちゃくちゃ模写した。
もう一度行こうかなあ。本当に良かった。良すぎて、普段滅多にお金を落とさないミュージアムショップでクリムトの本を買ってしまった。