太田あさひの日誌

旧・中西香菜さんがおすすめの映画をひたすら観るブログ。アンジュルムの中西香菜さんがおすすめする映画の感想だけでなく、旅行や考えごとについて書き残す。

『グラン・トリノ』ネタバレ感想

グラン・トリノ』(2008)は、中西香菜さんが何度も「一番好き」「何度でも観たい」と語っている映画である。

エンタメ総合情報サイト「クランクイン!」の連載コーナー「アンジュルム 中西香菜の観なきゃ損やで!」第1回では、このように紹介している。

 

何かあると「グラン・トリノ」が観たくなります(笑)

初めて観たときの衝撃のラストは忘れられませんっ!

このお話はね、2008年のアメリカ映画!
主人公は人になんと言われようと自分を持っている頑固おじいさん!
そんな彼のゆういつの趣味は「グラン・トリノ」という車でそんな宝物を少年に奪われそうになります(°▽°)
そこから2人の出会いははじまり、お互いを変えていくんです!

人々の本当の深い深い暗闇にスポットが当てられていて、
やっぱり支えるのは人間!

【人】という字は人間が支え合ってできた文字とよく言いますが、本当にその通り!

やっぱり照れくさかったりして人に頼るのは難しかったりしますが、
この作品を観ると自分の中の強い何かがゆっくりと外れていく気がしました!

後、何回も何回も観ることによって、新たな発見や細かなことにも気づくことが出来ます(^^)

愛しの「グラン・トリノ」くんとの出会いはね、笑

今は私が入っているグループの名前アンジュルムなんですが、
スマイレージとして活動しているときに出会い、
色々と挫折しているときで、
今思い返すと1番楽しくもあり1番辛くもあった時期でした!

でもそのときにこれを観て単純なんですが自分なんてまだまだだ!

何を悩んでるんだー!

人生もっと大変なことあるんだぞー!と

涙がだらだらーでました!

見終わった後の重いものがずんっときて、
一人でこのお話しをかみしめてるのがなんだか生きる意味を感じました!

中西香菜さん、「唯一」を「ゆういつ」と書いていてかわいい。けれど、「だれかチェック入れてやれよ」とも思う。

中西香菜さんと「愛しの『グラン・トリノ』くんとの出会い」は、おそらく2014年1月11日だと思われる。2014年1月12日のブログに、初見・2回目の感想が書いてある。

ウォルト心、広ー



悪いことをしてもそれをきちんと認めて、つぐなうことで何かは変わるんやな。変えられるんやな。と思いました!


香菜もそんな生き方をしたいなー!



悪いことをしても、きちんと受け止めてつぐなうこと!



嫌なことをされても、許す心!




ウォルトみたいに心を広くできるように頑張ります

(絵文字は当時流行りのデコメ絵文字(画像)だったため割愛)

正直、映画を観終わってから、この中西香菜さんの感想を読み直して、ちょっと心配になった。この子、「善悪」や「優劣」のどちらにも分類できない、自分でもどう処理していいかわからない感情を、無理やりポジティブに持っていく子なんじゃないか。要するに、辛くても無理して頑張る子なんじゃないかな、と思ったのだ。なぜなら、わたしが『グラン・トリノ』の軸だと感じたものは、主人公・ウォルトの「嫌なことをされても、許す心」ではなく、「許したいのに許せない」という彼の複雑な心だったからだ。

 

ウォルトは、朝鮮戦争に出兵していた退役軍人で、帰国後はフォード社の組み立て工場で働き、引退後も軒先に星条旗を立てる「ザ・アメリカン」である。友人とは「イエロー」や「ブラック」への差別的表現で軽口を叩き合って楽しむ。トヨタの車に乗る息子や汚い言葉を使う孫たちに「アメリカの誇り」を感じられず、良好な関係を築けない。彼の理解者(だったかもしれない)妻も亡くなり、独りになったウォルトの隣へ引っ越してきたのは、よりにもよって「イエロー」の家族だった。彼が朝鮮戦争で何人も殺した人種だ。

隣へ越してきた「イエロー」一家は、東南アジアの民族・モン族の家族だ。長男のタオは、アメリカに移民してきて「お手本」となる生き方を見失っていた。ウォルトは、初めは女々しくてウジウジしているタオを気に入らなかったが、優しく誠実なタオの人柄を認め、技術を教えたり仕事を紹介したりと世話を焼くようになる。 差別的表現の軽口は繰り返してはいるものの、タオの民族のホームパーティーに招かれるほど絆を深める。

 

わたしは、ウォルトのことを「心が広い」と思うことができない。やっぱり、彼は、「何も許すことができない」人種差別的で頑固な偏屈ジジイだからだ。けれど、彼は、朝鮮人を殺した時の最悪な気分を毎日思い出し、息子との接し方がわからなかった人生を悔い、誠実さには誠実さを返す人間でもある。そして最後には、「イエロー」であるタオの未来を守るために死ぬ。この複雑なウォルトの心の内にどんどん惹きこまれていった。

ウォルトにとって、タオの未来を守るということは、「自分を許す」ことでもあったように思う。あのとき殺した朝鮮人とそっくりな顔立ちの若者のために命を落とすことで、戦争で13人もの朝鮮人を自ら殺した自分を「許す」。未来ある若者との絆のために命を落とすことで、息子と良い関係が築けなかった自分を「許す」。あるいは、「許したい」という願いの現れだったのかもしれない。

ある時代にアメリカが生んだ苦悩の映画だった。 

 

中西香菜さんがこの映画を初めて観た2014年1月は、ヤッタルチャン大作戦も終わって成長を感じるとともに、焦りも感じる時期だったのだろうか。中西香菜さんの『グラン・トリノ』の感想を読んで、わたしが「大丈夫かいな」と思ったのは、このときの中西香菜さん自身の心境とシンクロしていたからかもしれない。

中西香菜さんは、「変わる」という言葉をよく使う。今の「悪い」自分から「良い」自分に「変わる」という意味合いで。もともとの自己肯定感の低さもあるかもしれないが、「劣等生」としてスマイレージに迎え入れられたこととスタッフに怒られる回数が多かったこと(もしかするとメンバーからも)の影響は大きいだろう

昔、声優の佐倉綾音さんがラジオ番組「矢作・佐倉のちょっとお時間よろしいですか」で、悩みを相談すると「時が解決してくれる」と助言する人間に対して「今、辛いの!」と憤怒していたことを思い出す。トークはお笑い調子で進んでいくのだが、「『今、この瞬間の気持ちに寄り添うこと』を大事にしている佐倉綾音さんの演技は伸びる!」と確信した瞬間だった。

中西香菜さんは、自分の悩みはあの人の悩みに比べたらちっぽけだとか、あとになったら笑い話になるだとか、そういう受け止め方をしているのではないか、と心配になる。もちろん、そういった受け止め方で自分を奮い立たせることができる瞬間というのは確かに存在する。悩んでいる自分の状況が許せなくなって、悔しくて、無理やり前進したくなるときだってある。でも、もう少し、そのときの辛い気持ち、苦しい気持ちを素直に受け止めてあげてもいいんじゃないかな。

悔しさを「変わりたい」「頑張ります」という言葉で表現するところが中西香菜さん自身の強みでもある。そんな中西香菜さんにも勇気をもらう瞬間がたくさんある。だからこそ、こんなお節介なことも考えてしまうのだ。「許したくても許せない」とき、中西香菜さんの近くにいてくれる人がたくさんいますように。