太田あさひの日誌

旧・中西香菜さんがおすすめの映画をひたすら観るブログ。アンジュルムの中西香菜さんがおすすめする映画の感想だけでなく、旅行や考えごとについて書き残す。

鎌倉・江ノ島旅行(2日目:第九とエスカーと天女と五頭龍)

ツナマヨさん()との鎌倉・江ノ島旅行2日目。今日は江ノ電に乗る日である。一番古い型にも乗りたいし、最新の型にも乗りたいし、写真も撮りたいし、景色も見たいし、楽しみでたまらない。わたしは、ローカル路線が好きなのだ。

 

ツナマヨさん

わたしの好きなひと。たぶん、わたしのことをちょっと好き。

ハイスタとジュディマリが好き。高校時代はaikoをずっと聴いていた。

しらすやいくらは「命がたくさんある」ため苦手。

 

酒飲みの朝は遅い。江ノ電に乗ること以外、特にするべきことはないので、この日はまったり出発した。

鎌倉駅で一日乗車券を購入し、ホームのお土産やさんでコロッケを食べた。遅めの朝食である。酒飲みに朝食は不要という説もある。

そのうち、「20形」が入線してきた。

 

江ノ電20形
 

2002年に登場した20形。このレトロ感、人工である。しかし、そんなことは関係ない。顔の縁のクリーム色の上枠がないのがおしゃれでかわいい。早速、乗り込む。

アジフライを食べに途中下車しよう、と話していたのだが、コロッケも食べてしまったし、微妙な時間である。わたしたちは、とりあえず、鎌倉に来たんだしと大仏を拝みに行くことにした。

 

長谷駅で下車する。暑い。わずかな日陰を辿りながら大仏を目指して歩く。「どっかでビール売ってないかなあ」と物色するが、店はほとんど開いていない。平日かつコロナ云々の影響だろうか。数年前に訪れたときは活気があった記憶があるが、今は閑散としている。

ろくに地図など見ずに適当に歩いていると、「長谷寺」なるところに到着した。ここに大仏があるのだろうか。なんだか記憶と違うような気がするが、暑いし、別に大仏をそれほど見たいわけでもないし、もうなんでもいいので拝観料を支払って中に入った。

 

大仏はいなかったが、なかなかに楽しい寺だった。

 

かわいらしいお地蔵さんがマスクをしていた。「和み地蔵」というらしい。

マスクしてるお地蔵さん


洞窟の中に神か何かが大量に掘ってあり、さらに進むと、参拝客の願い事と氏名が背中に書いてある木彫りの地蔵がびっしりいる場所に着く。わたしも「世界平和」と書き込み、壁に食い込ませておいた。

木彫りの地蔵

静かな庭を歩いていると、一部分だけ紅葉している木があった。ツナマヨさんが一生懸命に撮影していた。

紅葉を撮るツナマヨさん


階段を上ると、水子供養だろうか、無数の地蔵が並んでいる。

無限地蔵


あったかもしれない、無数の命などと思いながら眺めていると、ツナマヨさんが横でこんなことを言う。

 

「わぁ~第九歌ってるみたい」

「たしかに」

「すごいねー」

「あのちょっと他よりでかいやつがソリストやな」

「ねぇ~めっちゃさぼってる人がいる」

 

見ると、片膝を立てて肘をついている仏像がある。

めんどくさい合唱部顧問の仏像
 

なるほど、わかったぞ。わたしは、ツナマヨさんに、わたしが理解したことを説明する。

 

「『お前ら、全然あかんわ。1回みんなで話し合ってこい』って言ってるな」

「いるよね、そういう顧問」

「これみんなで話し合うの大変やな」

「ほんとにやだ」

 

わたしも、高校時代のかすかな記憶を手繰り寄せ、カタカナを並べただけのドイツ語で第九を歌ってみた。

水子供養の地蔵を見て、音楽の話をし、下手な即興芝居を打って、歌をうたう。そうしていると、この世の苦悩の何もかもが、どうしたこともない些細なことような気持ちになる。ツナマヨさんと一緒にいると、こんな瞬間がしばしばある。その度に、わたしは、人間に、哲学や宗教はいらないのかもしれない、と思った。

 

しばらくベンチに座って休憩をとった後、わたしたちは大仏を諦めて江ノ島へ向かうことにした。

出発前に、長谷駅前の適当な店で昼食をとった。ツナマヨさんは熱せられた無数の命の麺、すなわち釜揚げしらすうどんを、わたしは念願の生しらす丼を頼んだ。やや飲み飽きてきた感のある鎌倉ビールの写真を撮っていると、料理が届いた。ツナマヨさんは「いっぱいこっち見てる」と言いながらうどんをすすっている。わたしは無我夢中で生しらす丼を食べた。うまい。とにかくうまい。この感動を伝えたい。こんなにおいしいのに。そう思ってツナマヨさんの方を見ると、ツナマヨさんの下唇に何かがついている。米粒ではない。彼女が食べているのはうどんだ。だとすれば、何だ。まさか。じっと眺めてみると、それがしらすの目であることが判明した。なんということだろう。「いっぱいこっち見てる」とツナマヨさんが恐れているしらすの目が、ツナマヨさんの第三の目となり、わたしを見つめている。指摘したら卒倒するのではないかと思い、わたしはスルーすることにしたが、帰宅してから、あれは写真の一枚でも撮っておくべき大事件だった、と後悔した。

 

そんなこんなでやっと江ノ電に乗り込む。もう疲れている。暑いし、あほな会話ばかりして笑っているからだ。だが、江ノ島に行かなければならない。

江ノ島駅で下車する。すぐそこに江ノ島が見える。とぼとぼ歩きながら、江ノ島を目指すが、一向に近くならない。やっとのことで江ノ島へ渡る橋へ到着したが、今度は海が気になる。海!!!! 久しぶりに見た、海!!!!! わたしとツナマヨさんは、しばらく海を眺めて音楽を聴きながら話をしていた。きれいな白と青だった。「足だけ入る? サンダルはあの辺に置いといて」と提案してみる。ツナマヨさんも同じ気持ちだったようで、意気揚々と海へ向かっていった。

 

ツナマヨさんと江ノ島の海
 

裸足になって、ズボンをまくり、ひざ下まで海に入った。波は小さかったり大きかったり、不規則に行ったり来たりを繰り返している。もういいでしょう、とわたしがサンダルを履くと、ツナマヨさんが砂浜に絵を描いている。それを見に行こうとしたそのとき、ざぶーーーん、と波が来た。サンダルは泥だらけである。もうどうでもいいや、という気持ちでツナマヨさんの絵を見にいくと、こちらもまたどうでもよい下手くそな絵を描いている。その上、次の波に絵は消されてしまい、ついでにツナマヨさんのサンダルとジーンズも泥だらけになった。

 

橋に戻って、わたしたちはサンダルと服の応急処置をした。ノーマルなウェットティッシュは使い切り、スカッとするウェットティッシュも使った。ツナマヨさんはジーンズを脱ぐことを決意し、白のワンピースから下着が透けていないか何度も確認していた。わたしも心配でツナマヨさんの後ろ姿をじっと見つめたが、透けていない。大丈夫。わたしたちは再び江ノ島を目指して歩き出した。

 

江ノ島についてすぐのお土産屋で、黄色いアヒルのシャボン玉を買い、ツナマヨさんの首に掛けてやった。わたしは、彼女がシャボン玉を吹くのを見るのが好きだ。

 

夕日とアヒルのシャボン玉

 

日が沈みつつある江ノ島を出ようとする観光客とすれ違いながら、わたしたちは参道を登った。途中のアクセサリーショップで、ツナマヨさんが、ああでもないこうでもない、と悩んでいる。ツナマヨさんは、「うん、こっちにしよう」と決意して、和紙で折った手裏剣のピアスをプレゼントしてくれた。彼女が悩んでいた時間と、そのやわらかい色のピアスをとても愛おしく感じた。

 

参道を抜けると、大きな鳥居のすぐ後ろに、「ここからめちゃくちゃ階段上りますからね」というような壁があった。その脇に、階段がある。もうわたしたちに階段を上る力は残されていない。たしか、江ノ島にはケーブルカーのようなものがあったはずだ。それに乗ろう、と乗り場を探すと、すぐに、「エスカー」とでかでかと書かれている駅らしきものが見つかった。「エスカー」とは何のことだかよくわからないが、とにかく上まで連れていってくれる代物のようなので、代金を払って乗り込んだ。

写真を撮り忘れたのだが、とんでもない代物なので、是非、以下の公式サイトで「エスカー」を見てほしい。

 

エスカー」とは、何の略だろう。「エスカレーター」の略か、それとも「エスカレーター・カー」の略か、「エスカレーター・ケーブルカー」の略か。いずれにしても、ただのエスカレーターである。

と、ここで、わたしの脳裏に何かの曲のワンフレーズが不意に現れた。エスカーどこかで聞いたことがあるエス、カーそうだ! YUIの「es.car」だ!!! 曲名からして、YUIの解釈では「エスカー」は「エスカレーター・カー」の略なのであろう。ただのエスカレーターを「エスカー」と称して観光客から金をとっているものを、さらに「es.car」と表記してなんだかとてもかっこいいもののように仕上げている。しかし、どこをどう見ても「エスカー」はただのエスカレーターである。

 

YUIは「es.car」の中で「ドライブデートで鎌倉に行くんかと思ってたら江ノ島やったらしくてウキウキやわ!」というような田舎者っぽいことを歌った後に、こう歌う。

 

参道ぬけ エスカーに乗って

Oh Baby Oh Baby

 

頂上ついて風になって

もうHappyだね そうHappyだね

 

YUI「es.car」より

 

こんなただのエスカレーターに乗って「Oh Baby」と愛しい人を想い、その上、風にまでなってハッピーになれるとはYUIは恋愛脳だな。わたしと同じで。

わたしたち以外誰もいないエスカーで、ちょんっと触ったキスは、楽しくてウキウキした。

 

エスカーは途中何度か途切れ、主要な寺社を通らせてくれる。美人になるお守りが売っている神社や、なんだかわからないがライトアップされている龍のお堂のようなものがあったりした。

 

頂上についてからは、しばらく海を眺めていた。ツナマヨさんは、シャボン玉を吹いている。

YUIは頂上についた後どこに向かったのかはわからないが、とにかく、江ノ島の大通り(と呼んでいいのかわからないほど狭いが、観光客が通るような道はこれだけだろう)は一本しかなく、その道は、まだ奥へと続いていた。

 

道を辿っていくうちに気づいたのだが、わたしたちはどうやら江ノ島の反対側へと少しずつ下らされているらしい。そして、こちら側にエスカーはない。悪い予感がしたが、無視してどんどん進んだ。

 

途中、真実の口が鎮座していた。

 

情報量の多い真実の口


情報量が多すぎて何が何やらわからない。メモリーの少ない人間にとってはとても不親切な真実の口だなと、わたしが考えていると、ここでツナマヨさんがあることに気づいた。

 

「ビックリするほど両替してくれるんだね」

 

なるほど。そうとも読める。わたしは、それに乗っかることにした。

 

1000円札出したら、全部1円にしてくれるんちゃう? ビックリするほど、やからな」

「そしたら回せないよ」

「でも、ビックリするほど両替やからな、しょうがない」

「そっかあ」

 

意味がわからない。今、この記事を書いていて気づいたが、ガチャガチャではないのだから、「回せない」のではなく「できない」のはずである。それに気づかないほど、わたしたちは笑っていたし、疲れてもいた。

 

階段を下ると、夕日が沈みつつあるきれいな海が見えた。砂浜はないが、岩に降りれるようだった。しかし、もう少し奥へ進むと「江ノ島岩屋」なる洞窟があるらしい。営業時間を見ると、最終入場時刻まであと僅かだった。そのため、わたしたちは帰りに海を見ることとし、まずは「江ノ島岩屋」へと向かった。

 

江ノ島岩屋」の中に入ると、江ノ島に伝わる「天女と五頭龍」なる伝説を解説するボードがあった。そこには、だいたい次のようなことが書かれていた。

 

大昔、大きな五頭龍が江ノ島に棲みつき、災害を起こしたり、人間に嫌がらせをしたりしていた。そこへ、あるとき、天女が舞い降りた。天女のあまりの美しさに、五頭龍はすぐさま求婚したが、天女は「悪さばかりする者とは結婚できない」と突っ返した。失恋したショックのために、五頭龍はこれまでの行いを反省し、改心することを誓った。五頭龍の誓いを信じた天女は、求婚を受け入れることにした。その後、夫婦は最期まで江ノ島の人々に愛され続けたという。

 

なんちゅう話だ。ただのどうしようもない単細胞脳な男と、ただのどうしようもない顔の良い女の話である。思い返せば、途中に五頭龍のお堂的なものがあったし、美人の神が祀ってあるとかいう神社もあったし、龍や天女をモチーフとしたものが江ノ島のそこらじゅうにあった。このしょうもないカップルの伝説のために、エスカーを乗り継いで江ノ島を旅していたのか。わたしもYUIのように、ただただハッピーな気持ちだけを切り取って残しておきたくなった。

 

奥へ進むと、なぜか「晶子」と書かれた歌碑があり、与謝野晶子が歌を詠んでいたり、暗黒に光る五頭龍がスピーカーから唸り声をあげていたり、富士山まで続くと言われている地下通路の入り口があったり、大量の石窟像が鎮座していたり、とにかく忙しい。完全に観光地化してアトラクションのようにすることもできず、かといって、歴史を感じさせるような趣を出し切ることもできず、なんとも言えない中途半端な洞窟である。まあしかし、元の伝説がアレなのだから、仕方ないとも言える。

 

わたしも、ツナマヨさんも、疲れている。「江ノ島岩屋」を出ると、まさに日が沈もうとしているところだった。岩に降りて、海を眺める。遠くに富士山が見えた。

 

江ノ島から見た富士山


さあ、帰ろう。江ノ島を出て、江ノ電に乗って、鎌倉駅で酒とつまみを買って、ホテルへ戻ろう。

しかし、わたしは絶望していた。この階段を上って頂上まで行き、さらに「エスカー」なしで階段を下り、あの長い参道を下って、駅までの長い道のりを歩かなければならないのだ。死ぬ。

しばらくふたりで階段を上ってみたが、すぐに息切れする。特に、隣を歩くツナマヨさんは疲労困憊といった様子である。「かばん、持ってあげようか」と聞くと、初めは遠慮していたが、さすがに疲れていたのか預けてくれた。と、その瞬間、ツナマヨさんが一気に階段を駆け上がり始めた。わたしは、わけもわからず見ていたが、一応、ツナマヨさんのために「そんなんしたら余計に疲れるで」と一声かける。が、そんなことはお構いなしで、ツナマヨさんは、階段を一気に駆け上がっては休み、また駆け上がっては休み、を繰り返していた。わたしは、一緒に駆け上がってみたり、後ろをのんびり歩いてみたりしていた。気づくと、頂上だった。

 

そこから、上りしかない「エスカー」や天女と五頭龍の提灯を横目に、階段を下った。参道も抜け、江ノ島の入り口まで着いた頃には、疲労はピークに達していた。しばらく海を眺めて、江ノ電に乗り、ホテルへ戻った。

 

そこから、また、しこたま酒を飲んだような気がする。あまり記憶はない。

とりあえず、「明日はトンカツを食べて、竹林を見て、帰る」ということだけを決めた。